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コラム翻訳:アーネスト・ヘミングウェイ『パリのロシア人』<原文>

Paris is Full of Russians
The Tronto Daily Star, 25th February 1922


Paris. – Paris is full of Russians at present. The Russian exaristocracy are scattered all over Europe, running restaurants in Rome, tearooms on Capri, working as hotel porters in Nice and Marseilles and as laborers along the Mediterranean shipping centers. But those Russians who managed to bring some money or possessions with them seem to have flocked to Paris.
They are drifting along in Paris in a childish sort of hopefulness that things will be all right, which is quite charming when you first encounter it and rather maddening after a few months. No one knows just how they live except it is by selling off jewels and gold ornaments and family heirlooms that they brought with them to France when they fled before the revolution.
According to the manager of a great jewel house on the Rue de la Paix, pearls have come down in price because of the large numbers of beautiful pearls that have been sold to Parisian jewel buyers by the Russian refugees. It is true that many Russians are living fairly lavishly in Paris on the sale of jewels they have brought with them in their exile.
Just what the Russian colony in Paris will do when all the jewels are sold and all the valuables pawned is somewhat of question. It is usually impossible for a large body of people to support themselves indefinitely by borrowing money, although a few people enjoy a great success at it for a time. Of course things may change in Russia, something wonderful might happen to aid the Russian colony. There is a café on the Boulevard Montparnasse where a great number of Russians gather every day for this something wonderful to happen and to recall the great old days of the Czar. But there is a great probability that nothing very wonderful nor unexpected will happen and then, eventually, like all the rest of the world, the Russians of Paris may have to go to work. It seems a pity, they are such a charming lot.


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コラム翻訳:アーネスト・ヘミングウェイ『パリのロシア人』<訳文>

  文学界の大巨人アーネスト・ヘミングウェイは、若い頃、トロント・スター紙の特派員としてパリに住んでいた。ヘミングウェイの作品は短編、エッセイ、ルポ、遺稿含め数多く出版されているが、この頃、ヘミングウェイが書いていた記事はいまだに日の目を見ていない。彼が独自のスタイルを生みだすなかで、この記者時代が非常に重要であったことを考えると、それはとても残念である。
 

  僕が、『on Paris』というヘミングウェイのコラムのアンソロジーを見つけたのは、グリニッジヴィレッジにある小さな本屋であった。それはまさに運命的な出会いだった。その本屋以外、アメリカでもこの本は見ることがなかった。
 

  以下はその翻訳、原文だ。翻訳は僕が行い、知り合いの記者の方に添削していただいた。ヘミングウェイはマッチョでハードボイルドな作家だと誤解されているが、彼の短編を見ればわかるように、実際は非常に繊細で豊かな感受性を持っていた。1961年、彼は両手・両足でライフル銃を固定し、銃口を口にくわえ、足の指で引き金を引いて自殺した。飛行機事故による躁鬱が原因だった。
 


『パリのロシア人』
1922年2月25日 トロント・スター紙

 パリ。現在、パリはロシア人でいっぱいになっている。元貴族の彼らは、今やヨーロッパ中に散らばって、ローマでレストランを経営したり、カプリで喫茶店を営んだり、ニースやマルセイユのホテルでポーターをやったり、地中海の海運拠点で労働をしたりしているが、しかし金や家財道具を持って出てきたロシア人たちに関しては、どうやらパリに集まってきたようだ。
 

 彼らは、万事何とかなるだろうという半ば子供じみた希望を持ってパリをさまよっている。そのあたりが、初めて彼らに遭遇した時にはとても魅力的に映るのである。そして数カ月経つと、それは何とも憎らしく思えてくるのだ。革命前にフランスへ持ち出してきた宝石や金の装飾品、家財道具を売る以外に、彼らがどうやって生計を立てているのかは誰にも謎である。
 

 ラペ通りの巨大な宝石店を経営している者によると、ロシア難民が見事な真珠を大量にパリのバイヤーに売りさばくため、真珠の価格は下落してきているという。亡命した時に持ちだしてきた宝石の売り上げのおかげで、多くのロシア人がパリでの生活を華やかに送っているというのが、事の真相のようだ。
 

  ここで、全ての宝石を売り払ったり抵当に入れたりした後、パリのロシア人集団はどうしていくのだろうという疑問が、多少浮かんでくる。何人かは一時それが上手くいって楽しめたとしても、これだけ多くの人が、いつまでも借金をして暮らしていくというのは普通あり得ることではない。もちろん、ロシアの方で事情が変わって、彼らを助けるような素晴らしい何かが起こらないとも限らないが。モンパルナス大通りのあるカフェでは、たくさんのロシア人たちが、この素晴らしいことが実現し、帝政時代の古き良き日々を思い出させてくれることを期待して集まっている。しかし、そんな素晴らしいことや予期せぬことは起こるはずもなく、最終的には世界中の他の仲間たちと同じく、彼らパリのロシア人たちも働かなくてはならなくなるだろう。これは残念なことに思われる。彼らはそれほど魅力的なのだ。





ルポ:ヒスパニック移民と彼らとの出会いについて(4)

  戻ってきた時、オスカーは粉々になったサングラスを握り、カメラを手にしていなかった。目には赤くあざができていて、グレンダにスペイン語で何かしゃべった。聞くと、アパートに住んでいるギャングの集団が、彼に拳銃を向け襲いかかったという。彼らは過去に二回、発砲事件を起こしていて、刑務所出のオスカーをマークしていたらしい。グレンダは急いで部屋に戻り、残った僕らは裏口の階段下に隠れた。三歩進めば外に出られたけど、オスカーは「カメラを取り返したい」と言って僕のことを引き止めた。彼は「おれは前科持ちだ。いままでずっと人から信頼されたことがない。だけどこのまま別れたくはない」と言った。僕らは二時間後に、初めて会った道端で落ち合う約束をした。駐車場から走って出ていくと、窓からたくさんの目がこっちを見ていた。 
  

  結局オスカーは現れなかった。ホステルに帰って話すと、フランス人の女性から「彼はカメラを盗むために演技をしたのよ」と言われ、周りの人もみんなそう言った。アメリカ人や日本人の友達からも同じことを言われた。ある人は「そいつの話は最初から嘘だったんだ」と言った。それでも別れ際のオスカーの表情は真剣だった。目は涙でいっぱいだった。僕には本当のことはわからなかった。


終わり

ルポ:ヒスパニック移民と彼らとの出会いについて(3)

  アメリカは人口の一パーセントほどの富裕層が、国家全体の所得の二十パーセント以上を手にしていると言われている。残りの九十九パーセントの人々が余った所得を分配する。そのなかでヒスパニックの多くは低所得者だ。国勢調査が出した統計では、リーマンショックの七年前の時点で、ヒスパニック系移民の年間所得は米国人の半分ほど、ヒスパニックが多いロサンゼルスの凶悪犯罪件数は、領事館の統計で年間約一万八千件、東京の約十倍で、その多くは「失業率の増加や経済の停滞」が原因だという。国外逃亡してきた犯罪者が移民のネットワークを利用して犯罪集団を作る場合もあり、彼らへの偏見は根強い。それはさらなる負の連鎖を生み、彼らから低所得者層を抜け出す機会を奪っていく。
 

  ロサンゼルスに滞在中、僕はもう一度だけ二人に会った。その日はグレンダの誕生日で、オスカーは彼女にプレゼントを買った。駐車場で話していると、彼は一人、僕のカメラを借りて階段を上がっていき、落書きの写真を撮りに行った。時刻は夕暮れ時で、日が沈みかけていた。

ルポ:ヒスパニック移民と彼らとの出会いについて(2)

  オスカーは、リビングで刑務所についてのテレビ番組を見ている時、自分もそこに入っていたことがあると言った。彼に年を聞くと二十五歳で、出てきたのはつい最近らしかった。服役は九年間だと言っていた。


  オスカーの話では、彼が十四歳の時に家の庭で近所のギャングに撃たれた。銃弾は腕や胸など、九箇所に命中した。血を流して仰向けに倒れると、額に銃口の感触がし、反射的に相手の頭を撃った。
 

  裁判は正当防衛を認めなかったという。事件はギャング同士の抗争として片付けられたそうだ。彼自身はギャングではなかったけど、彼はそれを「自然なことだ」と言った。彼の兄は二人ともギャングで、一番上の兄は服役し、もう一人は刑務所内で殺されたと話した。服役中、オスカーは教育を受けられなかったので、日本が一つの国であることも知らなかった。出所してからの生計はタトゥーを彫って立てていたけどそれでは足りず、グレンダの家に居候しながら、麻薬の売買にも関わった。オスカーの麻薬依存はグレンダの家族にも広まった。みんなは朝起きてマリファナを吸い、夜寝る前にもマリファナを吸った。コカインやLSDもやった。教育がないと仕事が手に入らず、仕事がないと生活が困窮し、そうなると犯罪に手を染めるしかなかった。移民の前科持ちに社会の偏見は強く、まともな知り合いもできなかった。グレンダの両親は彼を追い出すと言っていて、そうなると住むところはなかった。グレンダのお腹には彼の赤ちゃんがいた。


  オスカーはラッパーとして売れるのが唯一の道だと笑って言い、映画製作を習っている僕に、いつかPVを作ってくれと頼んだ。僕には「うん」と答えることしかできなかった。

ルポ:ヒスパニック移民と彼らとの出会いについて

  二年前、ロサンゼルスのダウンタウンを歩いている時に女性から声を掛けられた。彼女は僕に硬貨を持っているか尋ねて、「彼氏が電話を掛けたがってるの」と言った。近くの公衆電話で、男が受話器を握りながらこっちを見ていた。彼はアメフト選手のように大柄で、女の方も同じぐらい太っていた。二人はスペイン訛りの英語をしゃべった。仲良くなって彼らの家へ昼食を食べに行く途中、男はオスカーと名乗り、女の名前をグレンダと紹介した。オスカーはメキシコ移民で、グレンダはグアテマラ移民だった。
 

  二人は郊外の小さな四階建てアパートに住んでいた。同じようなアパートが辺りに密集し、駐車場の植木はどれも枯れていた。壁はスプレーで落書きされ、廊下には紙くずが散らばっていた。ドアを開けて日の当らない部屋に入ると、窓からすぐそばに高速道路が見えた。部屋はグレンダの家族が借りていて、両親や兄弟を合わせた七人が暮らしていた。
 

  オスカーは自分がタトゥーアーティストだと言い、体や頭のタトゥーを見せてくれた。彼はその日昼食を食べながらグレンダと喧嘩をして、それからまた仲直りしていた。狭く汚れたテーブルの上で彼女の兄弟は仕事の愚痴を言い、母親はひと言もしゃべらなかった。男たちはベランダの枯れた植木でトイレを済ませていた。末の弟は中学生で、僕に学校のことを色々話してくれた。
プロフィール

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Author:FC2USER586252FFA
都内某W稲D大学三年生 
(ジャーナリズム専攻)

好きなもの:ヘミングウェイ
嫌いなもの:なし

略歴:T県の田舎町に生まれる。親は離婚。大学進学で上京。アメリカの新聞社で就労経験。

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