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コラム翻訳:アーネスト・ヘミングウェイ『パリのロシア人』<訳文>

  文学界の大巨人アーネスト・ヘミングウェイは、若い頃、トロント・スター紙の特派員としてパリに住んでいた。ヘミングウェイの作品は短編、エッセイ、ルポ、遺稿含め数多く出版されているが、この頃、ヘミングウェイが書いていた記事はいまだに日の目を見ていない。彼が独自のスタイルを生みだすなかで、この記者時代が非常に重要であったことを考えると、それはとても残念である。
 

  僕が、『on Paris』というヘミングウェイのコラムのアンソロジーを見つけたのは、グリニッジヴィレッジにある小さな本屋であった。それはまさに運命的な出会いだった。その本屋以外、アメリカでもこの本は見ることがなかった。
 

  以下はその翻訳、原文だ。翻訳は僕が行い、知り合いの記者の方に添削していただいた。ヘミングウェイはマッチョでハードボイルドな作家だと誤解されているが、彼の短編を見ればわかるように、実際は非常に繊細で豊かな感受性を持っていた。1961年、彼は両手・両足でライフル銃を固定し、銃口を口にくわえ、足の指で引き金を引いて自殺した。飛行機事故による躁鬱が原因だった。
 


『パリのロシア人』
1922年2月25日 トロント・スター紙

 パリ。現在、パリはロシア人でいっぱいになっている。元貴族の彼らは、今やヨーロッパ中に散らばって、ローマでレストランを経営したり、カプリで喫茶店を営んだり、ニースやマルセイユのホテルでポーターをやったり、地中海の海運拠点で労働をしたりしているが、しかし金や家財道具を持って出てきたロシア人たちに関しては、どうやらパリに集まってきたようだ。
 

 彼らは、万事何とかなるだろうという半ば子供じみた希望を持ってパリをさまよっている。そのあたりが、初めて彼らに遭遇した時にはとても魅力的に映るのである。そして数カ月経つと、それは何とも憎らしく思えてくるのだ。革命前にフランスへ持ち出してきた宝石や金の装飾品、家財道具を売る以外に、彼らがどうやって生計を立てているのかは誰にも謎である。
 

 ラペ通りの巨大な宝石店を経営している者によると、ロシア難民が見事な真珠を大量にパリのバイヤーに売りさばくため、真珠の価格は下落してきているという。亡命した時に持ちだしてきた宝石の売り上げのおかげで、多くのロシア人がパリでの生活を華やかに送っているというのが、事の真相のようだ。
 

  ここで、全ての宝石を売り払ったり抵当に入れたりした後、パリのロシア人集団はどうしていくのだろうという疑問が、多少浮かんでくる。何人かは一時それが上手くいって楽しめたとしても、これだけ多くの人が、いつまでも借金をして暮らしていくというのは普通あり得ることではない。もちろん、ロシアの方で事情が変わって、彼らを助けるような素晴らしい何かが起こらないとも限らないが。モンパルナス大通りのあるカフェでは、たくさんのロシア人たちが、この素晴らしいことが実現し、帝政時代の古き良き日々を思い出させてくれることを期待して集まっている。しかし、そんな素晴らしいことや予期せぬことは起こるはずもなく、最終的には世界中の他の仲間たちと同じく、彼らパリのロシア人たちも働かなくてはならなくなるだろう。これは残念なことに思われる。彼らはそれほど魅力的なのだ。





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Author:FC2USER586252FFA
都内某W稲D大学三年生 
(ジャーナリズム専攻)

好きなもの:ヘミングウェイ
嫌いなもの:なし

略歴:T県の田舎町に生まれる。親は離婚。大学進学で上京。アメリカの新聞社で就労経験。

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